深い憎しみの感情が…
哀れに嘆く感情が…
燃え滾る怒りの感情が…

さまざまな感情が流れ込んでくる。
自分のものではない何かの感情が流れ込んでくる。

何に対しての憎しみかは、知らない。
何に対しての嘆きかは、知らない。

それでも”それ”は自分の頭へと流れ込み続ける。

昔から、幼いときから流れ込んでくるその感情は日に日に強く、そして明確になっていく。

自分に。そして、片割れの彼女に。

目を瞑り、闇へと落ちると流れ込んでくる”それ”に対して、不快感はほんのひとかけらさえなかった。
むしろ、まるで自分の感情かのようにすんなりとなじみ、うっすらと消えていく。

そして、時を重ねるたびに、1日、1年が過ぎていくたびに流れ込んでくる感情と反比例するかのような不愉快なノイズの音が大きくなっていく。
耳のではなく、頭に直接流れ込んでくるような感覚。

全ては闇の中での出来事。いつの間にか、目を開けると忘れてしまう出来事だ。

頭に流れてくる感情、不愉快なノイズ。
そして、ノイズからかすかに聞こえてくる声らしきもの。
何を言っているのか、どこの言葉かさえも分からない声がかすかに紛れ込んできたかのように聞こえる。

毎日紛れ込んでくる声がやっと最近になって日本語らしいと知った。

それでも、何を言っているのかは分からずじまいだった。
不快なノイズに続き何が言いたいのか、伝えたいのかが分からず闇の中で怒りとはまた違う、たとえて言うならば、あきらめきれない気持ちだ。
あきらめきれない気持ちが膨らんでいく。
その声に対して耳を傾けるのではなく、神経を集中させる。

この声が彼女に聞こえているのか、知らない。
もしかしたら、自分にしか聞こえていないのかもしれない。

「……そぉ………………」

聞こえ始めた。

女、の声ではない。
男、の声でもない。
無邪気な子供、の声でもない。
かといって、機械で編成されたような声でもない。

まるで分類のできない声だった。

今までに聞いたことのない声。
これが一番適切な言葉ではないか。と、自分はそう思う。
決して誰も聞いたことがないであろう声だ。

「だ…………ぉ………」

ほら、また。

誰に言うわけでも、伝えるわけでもなく思った。
聞き取ろうと闇に落ちた意識を全て集中させる。
それでも、何も聞き取れずに、今度こそ苛立ちが少なからず湧き上がってきた。

何が言いたい?
自分に何を訴えている?
どうしてほしい?
どうするべきか?

何も分からない。
だってここは”闇”だから。

誰もいない、誰も知らない闇だから。

誰も気づかないところで、自分は気づいている。

それにすら腹が立った。
そう、自分だけだ。自分だけなのだ。
この声が聞こえるのも、闇に落ちても意識があるのも、きっと自分と彼女だけなのだ。


すっと目の端に、いや、闇の中に薄い光が漏れる。

ああ。と、自分は思った。
今日はもう闇とお別れだ。
朝が来て、ここのことなど忘れて、目が覚めて、皆で食事をして、それから遊ぶだけだ。

そう、ここのことなど忘れるのだ。
闇に中の出来事は全て忘れてしまうのだ。

この頭に流れる感情も、ノイズも、かすかに聞こえる言葉らしいものも、全て忘れてしまうのだ。
全て、闇に溶けて忘れるのだ。


もうすぐ、闇が溶ける…






『もうそろそろだ』







「?!!!」

朝が、きた。

いつものベッドの上に自分はいる。
いつものベッド。いつもの部屋。いつもの同室の友達。
いつもどおりだ。全て、部屋の中は。

跳ね起きて部屋を見渡してからやっと気がついた。
髪が、長い髪が濡れて首に張り付いていた。
それが汗のせいだと気がつくのに時間がかかった。

だって、今は春だ。

ついこの間に小学校の、自分の卒業式が終わった、まだ3月なのだ。
寝汗を掻くに早すぎる。

ゆっくりと深呼吸を繰り返すと、ふと言葉が浮かんだ。


『もうそろそろだ』


最後に闇の中で聞いた言葉だった。
いつもなら忘れてしまうはずの闇の中の言葉が頭の中を駆け巡った。
言葉、というよりも文字、といったほうが正しいのかもしれない。

声を思い出そうとしても思い出せない。
女でも男でも子供でも機械でもない、無機質で、感情がこもっているような…
分類できない声。


「もう、そろそろだ」


ふと口に出て慌てて口をふさいだ。

何を言っているのだろう。
あの声は自分の声ではない。自分の意思ではない。自分では、ない。

自分に、聞こえた声は…

はっとして、片割れの彼女を見る。
彼女はまだ、闇の中にいるようだ。
静に呼吸を繰り返して静かに眠っている。

管理者が起こしに来るにはまだ、一時間弱ある。