「これで終わり」

薪割り用の切り株の上に座った蒼い髪を首の辺りまで伸ばした少年―シルス―は少しばかり古ぼけた、けれど表紙が今にも破れてしまいそうな本を閉じると、目の前にいるこの村の住人たちである子供たちにため息交じりでつぶやいた。

「ええ〜〜!もう終わり?なんだよ〜、また今日もそれだけかよ」
「シルスっていっつも物語りしか話してくれないよね」
「そうそう。もっとさぁ、例えば…そう!魔物の話とか!ねぇ、シルス。外にはどんな魔物がいるの?教えてよ!」

でもさ、本当に私たちはひとつの人種しかいなかったのかな?と、後ろで友達同士でシルスに読んでもらった物語の話を膨らませている子もいれば、
シルスに対して文句を言うもの、もっと話して!とせがむものなど、シルスが話し終えると静かだったそこが一気に蜂の軍団のように騒がしくなる。
しかし、それも毎日のことだ。それでも、シルスはこれに慣れることができなかった。
毎日のように、実際毎日なのだが、子供たちは必ずシルスのところにやってくる。
シルスがそれを嫌がっているのを知ってか知らずか必ず来るのだ。
そして、

「文句があるんだったら、いちいち俺のところに来るなーー!」

シルスが怒りに負けてとうとう大声で怒鳴るのだ。

「シルスが怒ったぞー!」
「逃げろーー!」

男の子たちが真っ先に駆け出して笑い声を立てながら村の中心部に向かって大声で叫ぶ。
それにつられて女の子たちも、キャーだの、銃を取り出すわよだの、中にはただシルスを見て笑っている子すらいる始末だ。

シルスはこれが一番嫌いだった。
子供たちに物語を読むことは、嫌いではない。顔も名前も声すらも覚えていない兄・・・・・・・・・・・・・・・・が自分にしてくれたことだったから嫌いというわけではない。
子供も大嫌いというわけではない。好かれるのにこしたことはない。
ただ、最後に自分がきれることを楽しみにしてくる子供たちが大半だということがいやだった。
それならば、きれないようにしよう。と、毎日心がけるのだが、それでも怒ってしまうのだ。
きっとそんな自分にも怒っているのだろう。と、シルスは一人で納得しながらもどこか腹立たしい、腹の底に残った湧き上がるような感覚に毎度のことながら不快感を覚えた。
頭を軽く振って、背伸びをしようとしたとき、

「毎日ご苦労じゃの」

と、しがわれた老人の声がシルスの耳に届いた。

「全くだ。何が楽しんだか、俺には分かんないがね」

本当は知っている。けれど、シルスは決まって知らないふりをする。
誰かに認めてしまったら、それこそ自分自身に腹を立てて、きっとこの老人―ジグ―にも影響が及ぶだろう。だからシルスは知らないふりをする。
ジグははぶてたような顔をしたシルスを見て、フォッフォッフォ、と軽快に笑った。

「子供たちはお前さんが怒るのを楽しみにしておるんじゃよ。一度怒らずにがんばってみたらどうじゃ?愛想をぬかして子供たちも寄らんようになるぞ」
「別に、子供が嫌いなわけじゃねえけど」

ガシガシと頭をかけば、ジグは白い眉毛でほとんど隠れてしまっている目を細めもう一度愉快そうに笑った。

そういえば、とジグが思い出したように言った。

「お前さん、今日は隣町に行くんじゃなかったかの?」
「い?!そういえば!」

ぐるん、と回転し、あまり大きくない家の中にかけてある唯一の時計を見てシルスは慌てだす。
約束の時間まであと30分もないのだ。

「何でもっと早くに言ってくれなかったんだよ、ジグさん!あの服着るのに結構時間がかかるの知ってるだろ!」

早口で言いながら家の中へと慌てた足取りで駆けていった。
それを見ながらジグは笑う。これも日常のひとつだった。
シルスは体内時計が少しずれているのか、皆と感じる時間が少々違うようだった。それがどうしてなのかシルスにも、もちろんジグにも分からなかった。

シルスは寝るとき用の軽服を急いで脱ぎ捨てると、椅子にかけている首がすっぽりと隠れてしまうTシャツを着て、くすんだ緑色をした袖の無いジャケットを羽織り、
入り口の近くにある食器棚の横のフックにかけてある、愛銃入りの皮ベルトを引っ掴むと小走りに脇にある自分の寝室まで行きながらベルトを両肩に器用に付けた。
寝室に入れば洋服ダンスの一番上の小さな引き出しを開け、銃の玉を取り出し、ジャケットの胸ポケットに詰め込んだ。
更に奥にはいっているサバイバルナイフをスリットから覗くように、けれども見つかりにくいように太ももにくくりつけた。
いわゆる非常用のものだ。

シルスの仕事は「魔物退治屋」。
変哲も無い職業かもしれないが、この仕事は思いのほか儲かりがよかった。
森、海、隣町への道でも魔物は襲ってくる。
それが最近、数を増やし始めた。
それぞれの街には国の手配する兵士やらがいてなかなか魔物は街に入ってこれないので大丈夫なのだが、出かけるときにその兵士を連れて行くわけには行かない。
そこで、シルスたちのような魔物退治屋が依頼人を守る。というわけなのだ。
この仕事はほとんどが個人で行う仕事なので、報酬もその場で、しかも値もかなりの額がもらえる。

シルスは最後に髪の毛を、特に後ろ髪を丁寧にブラシがけをした。
そうしているうちに10分近くたってしまっていることに気がつき、シルスは大慌てで家を飛び出した。

「じゃあ、ジグさん行ってくる!」

シルスのように大きな声を出せないジグは片手を挙げた。
それを見たシルスもあまり表情豊かとはいいがたい顔をほころばせながら片手を挙げ、先ほど子供たちが走っていった道を走って降っていった。

なるべく速く、速く村の門まで走る。

「よう!シルスまた遅刻か?」

村のデコボコ道を走っていると、野菜の入っている籠を両手で持っているロイが目の前を猛スピードで駆けていくシルスに笑いながら声をかけた。

「ガキのせいだ!!」

半ば自棄になりながらシルスはロイに怒鳴った。
それを見ながらロイも子供たちと同じようにカラカラと笑った。
そんなロイにちょっとした怒りがこみ上げてくると同時に、あとでしめてやる、とひとつのストレス解消法を思いついてひそかに口の端を持ち上げた。

「シルスーー!遅刻しないようにねー」

今度は少女がよく通る声で笑いながらシルスにいった。
本を読んでいたときにいた女の子たちの中の一人だった。

「誰のせいだーー!誰の!」

今度こそ怒りに任せて大声で怒鳴ってみるものの、少女は笑って手を振っているだけだった。
周りでは、またシルスか、と、その大声に驚くことも、腹を立てることもなく、いつもの朝だと思っていた。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 




「すみません。遅れてしまいました」

隣街のアイゼルクに着くと、シルスは少し息を弾ませながら営業時の丁寧語に切り替えて、入り口に居る老夫婦というには若い男女二人に頭を下げた。

「全く、本当よ。10分も遅刻するなんて、どういうこと!」

女の甲高い怒りの声が耳につく。
うるさいとしか言いようがないと、シルスは思った。

「まあ、彼にも事情があるのだろう。少しは大目に見てやろうじゃないか。仕事のほうはちゃんとやってくれるんだろうね」
「それはお任せください」

女とは違い柔らかい男の声にシルスは答えた。

「それで、今日はどちらに?」
「今日は薬の材料が少なくなってきたんで薬草を取りにイグアスの森に」
「イグアスの森…ですか。最近あそこで何人かの死人がでたと聞きましたが…」
「そこじゃないと薬草が手に入らないんだよ!そのために退治屋を雇ったんだ。早くしとくれよ」

強い口調で言う女に、シルスは怒りがこみ上げてきた。
遅れてきて、仕事とは言えど腹が立つのは立つものだ。
奥歯を噛み締めてくるり、踵(きびす)を返し、

「では、行きましょうか」

何も感じていないかのような口調で彼らを促した。
ふと、子供たちにもこんな風な態度をとればいいのではないかと、シルスは思ったが、どうせいつものようになると、その考えを1人心の中で打ち消した。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 




ドン! ドン!

暗闇の中で火薬の焦げたにおいとその音だけがうるさく聞こえた。
その音のあとを追ってグシャやら、ビチャやら、何かに、魔物に弾丸が当たったことを示す音も鼓膜を震わす。

(おかしい…)

シルスは思った。
イグアスの森には確かに何度か来たこともあったし、ここよりも奥にいったこともある。
ここに住んでいるはずの魔物はほとんど知り尽くしているはずだった。
しかし、目の前に居るのはこの森でも、他のところでも見たことのない種類の魔物だった。
その魔物の中の1匹がシルスの足を絡めとろうと緑の細かい突起がついている触手を伸ばす。

「くそ!」

足のもう少しのところでシルスが触手に気づき、その触手に一発打ち込んだあと、反対の手の銃で魔物の脳天を割る。
一息ついたところでシルスは少し後ろに居る夫婦を確認した。
怪我はしていないようだ。
ほっとしたところで左足に激痛が走った。
何かと見れば、先ほどの触手が絡まっていた。
本体が死んでも触手は少しの間だけ動くらしい。
急いでシルスはその足の触手を蹴り飛ばした。
それと同時に蹴り飛ばした右足の靴がジュゥ、と音を立てて白い煙を立たせていた。
よほど強い酸が出ていたのだろう。
足首がジンジン、と心臓の音にあわせて脈を打っているのがわかる。

いらいらする…

「まだ目的地には着かないのか!」

つい、いつもの口調に戻ってしまう。

「まだもっと奥だ。うわ!!」
「ちっ!!」

ドン! ドン! カチン カチン

「くっそ!」

弾丸が出ず、リボルバーの回るだけの音がシルスを焦らせる。

「うわあーー!!」
「あなたーー!」

熊のような、しかしどの熊にも似ても似つかない巨大な魔物が男に覆いかぶさろうとその手を振り上げた。

(間に合わない!)

シルスはとっさに足にくくりつけていた非常用のサバイバルナイフを引っ掴み、魔物の額あたりにめがけて投げた。
真正面に当たらなかったものの、いきなりの刃物に避けられず目の辺りにナイフが刺さった。

「立て!!早くこっちに来い!!」

隙を見たシルスが大声で2人に叫ぶが、男は腰が抜けたのか、尻餅をついたまま動こうとしない。
女が引っ張って立たせようとしているが、女の腕力で男1人を抱えるなんて到底できることではない。
シルスは急いでリボルバーを開けると一発だけ弾丸を込める。
そして引き金のちょうど真上の、リボルバーの横にある赤い何かのエンブレムの描かれた丸いクリスタルを手前に回した。
エンブレムが輝きだす。

「くたばれ!」

ドン!

銃弾は見事に額を打ち抜いた。
そこからたちまち炎が上がり始める。
まだ意識の残っていた魔物の断末魔が聞こえる。
残りの気力で腕を振り回し炎を消そうとするが、打ち抜かれた脳は言うことを聞かず、すぐに動きが止まり、
地響きを立てながらそこに倒れた。

しばらくそこから動かず魔物に銃口を向け続けるシルス。
やがて炎がその巨体を飲み込むのを確認すると、回りを警戒しながらも腰の抜けた男のもとに近づく。

「大丈夫…ですか?」

つい、大丈夫か、といいそうになり、一瞬口をつぐみながら言った。

「大丈夫だ。すまないね」
「いえ」

会話をしているシルスたちの後ろで、小柄な影がシルスたちから遠のいたことを、シルスは知らない。